今回は、主に西インド地方の宗教遺跡であるサーンチー仏教建造物群、アジャンター洞窟寺院群、エローラ洞窟寺院群、エレファンタ洞窟寺院群を友人と2人で旅行した。
サーンチー仏塔・東塔門(トラナ) 紀元前3世紀頃~
エローラ・第16窟 カイラサナータ寺院(ヒンドゥー教)7世紀頃から掘削建設
アジャンター洞窟寺院群(仏教)紀元前2世紀~6世紀半ば
エレファンタ洞窟寺院(ヒンドゥー教) 8世紀~10世紀
◎行程
◎インドの宗教:
ヒンドゥー教徒79.8%(バラモン教が土着の宗教と習合した)、イスラム教徒14.2%、
キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年)
キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年)
インド系ヴェーダの宗教:
インダス文明で栄え独自の文化や民族宗教から紀元前1000年~紀元前500年頃に、インド的な宗教・哲学のことがまとめられた「ヴェーダ」ができた。
ヴェーダ系の始まりは「バラモン教」とされ、「バラモン教」が進化して「ヒンドゥー教」となった。
・死後、また次の人生がある(輪廻)
・ヨガで宇宙と一体化
・多神教
・カーストによって生まれながらに身分が決まる(現在カースト制度は廃止されている)
インド系非ヴェーダの宗教:
ヴェーダの宗教(バラモン教、ヒンドゥー教)を批判する形でインドで生まれたのが、仏教やジャイナ教などの宗教。創価学会は仏教系の新興宗教。
・死後、別の生命に生まれ変わる(輪廻転生)
・カースト制度や権威主義を批判
アブラハム系の宗教:
ユダヤ教、モルモン教、キリスト教、エホバの証人、モルモン教、イスラム教、バハーイー教、ハーブ教等
・聖書やコーランなどの「啓典」を重視する
・唯一神、神は絶対、神に姿形はない
・死後、最後の審判で天国か地獄行きかが決まる
土着・民族系の宗教:
ゾロアスター教、ブードゥー教、儒教、道教、神道、天理教等
混在系の宗教:
マニ教、シク教、カオダイ教
Narita ⇒ Delhi ⇒ Bhopal ⇒ Mumbai ⇒ Aurangabad ⇒ Delhi ⇒ Narita
◎費用 ~¥194,863
1.航空券(国際線往復、国内線3回):¥105,445
2.鉄道料金(Indian Railways:365㎞):Rs3,234(~¥5,045)
3.宿泊費(10日分):¥34,818
4.インドVISA: $25.00(~¥2,775)
5.海外旅行保険(ジェイアイ傷害火災保険 t@biho): ¥18,820
6.食事代、飲物代、入場料、TAXI代、地下鉄、電車、チップ代等:¥24,000
7.往復電車代:¥3,960
◎今回のインド旅行について
1.オートリキシャ
2月10日夜、デリー・インディラガンジー国際空港に着いてAirport Metroでデリー駅南口まで行き、デリー駅北口近くにあるホテルにスーツケースを持ってオートリキシャで行こうとした。
オートリキシャのドライバーが渡線橋の手前を戻り、どこかのゲート(後で警察署の駐車場と分かった)に連れて行き、ゲートの人が「今日は、ヒンドゥー教の祭り・Kombh Melaがこの周辺であるからホテル周辺には許可証がなければ入れない。許可書をもらって来い」と言う。
そこでオートリキシャのドライバーに観光事務所に連れて行ってもらい、観光事務所で話をしていると「許可証はいらない」と言う。
そのオートリキシャのドライバーにホテルまで行ってもらうことにしたら、途中で高額な料金Rs2000を言い出し、止まってしまった。
とにかく料金交渉は、降りたときにして動いてもらった。
ところがデリー駅南口近くに来たら混んでいるので「ここで降りろ」という。
このドライバーとは関わりたくなかったので降りたが、交渉して最初に同意したRs50の2倍のRs100の料金を払った。
ドライバーは「もっとくれ」と言っていたが無視して歩き出した。
ホテルの場所もよく分からず大きなスーツケースを雑踏の中をゴロゴロ転がしながら、ホテル名を通行人に聞きながら行くが、なかにはここだここだと言って違うホテルに泊めようとする。
個人旅行必需品のGoogle Mapで位置確認しながら約1Km歩き回りやっとホテルに着いた。
後で、HISの事務員に聞くとデリー駅周辺ではKombh Melaは行われていなく、オートリキシャ料金を高くとるための仲間同士の嘘であった。
外国人に対して、高額料金を取るため嘘をつく一部の運転手や仲間たちが居るという。
オートリキシャの運賃交渉は、行き場所までの距離をGoogle Mapなどで事前に調べておいて、おおよその折り合い金額を考えておく。(Rs20/㎞~Rs30/km)
オートリキシャには、メータは付いているが使用していない。
ドライバーに、行き先までの運賃を聞くと外国人だと2~3倍の運賃(Rs300)を言ってくる。そこで半分以下の運賃(Rs100)を言うと「ダメダメRs200」だと言う。中間を取って「Rs150」と言うと同意することがあり、乗車できる。高すぎる場合は断固として断り別のオートリキシャを捜す。安過ぎると乗せてもらえない。塩梅が必要。
デリー駅前のオートリキシャ待合所
6年ごとに開催されるヒンドゥー教の盛大な祭り
クンブ・メーラ(Kunmbh Mela)
2.お釣り
地下鉄の窓口で、Rs60のトークンを買う時、窓口にRs100札を出すと、トークンが先に出で来たので受け取り、ちょっと窓口から動いたら次の人がトークンを買っていて次から次に人が来てお釣りを受け取れなかった。
次に世界遺産の入場料支払い窓口で外国人料金Rs600(インド人Rs40)をRS500を2枚出し、入場券を発行してもらったが、お釣りが出てこない。
チェンジ・チェンジ(お釣り・お釣り)と言うとRs100が3枚が出てきた。
そこでまたチェンジ・チェンジと言うと残りのRs100 が出てきた。
どの窓口でも「お釣り」と言わないと出てこないと判り、次回からはトークンや入場券を受け取ったら、必ずチェンジ・チェンジ(お釣り・お釣り)と言ってお釣りをもらった。
ある人の話で、「なぜ、お釣りを出さないのか?」と聞いたところ「なぜ、お釣りを我々が用意して置く必要があるのか?」を言い返されたそうだ。
支払う方が、お釣りの無い金額を用意しておいべきだと言う。
また、Rs2000札やRs500札を出すと「お釣りがない」と言って買い物やTAXI代の受け取りを断られることがある。必ず、小額紙幣や小銭を準備しておくことが必要である。
TAXIなど、もし相手にお釣りがないと渡した金額全てをチップとして渡さざるを得ない。
3.デリー空港・チェックイン
2月19日、帰国時、3時間前に空港に着いて荷物チェックインをしようと並んでいたが、遅々として進まず1時間半経過してしまった。エコノミークラス・チェックインカウンターは6か所のカウンターで対応していたが、4か所のカウンターで乗客とトラブルがありロックしていて、2か所のカウンターで長い列を処理していた。
飛行機の出発時間に間に合わなくなるので、航空会社係員に「東京行きに間に合わない」と伝えたところ、クルー専用のチェックインカウンターで、荷物渡しとチェックインができた。
ところが、4か所のエコノミークラスのパスポートコントロールゲートも、長蛇の列であった。
運悪く、我々の前方にいた3人が、何か問題のある人達でパスポートコントロール係官が、その3人を別なところに連れて行き、残った1か所のパスポートコントロール係官が1人で対応していて遅々として進まない。
ここでも同じように航空会社係員に「東京行きに間に合わない」と伝えたところ、ビジネスクラスのパスポートコントロールゲートに連れて行ってもらい、通過した。
その後、エコノミークラスのセキュリティチェックは混んでいたが、ビジネスクラスのセキュリティチェックを通り、搭乗口まで約1kmの通路を小走りに向かっていると、電動カートが通りかかったので乗せてもらった。
搭乗口に着いたのは、出発時間15分前であった。
残った持ち出し禁止のインド通貨(約Rs2000)で、お土産を空港内で買おうと思ったが、時間が無く買えなかった。このインド通貨は、次回のインド旅行に使う予定。
デリー・インディラガンジー国際空港 チェックインカウンター
4.インド都市の交通状況
交通規則が有るような無いような、対向車線を走ってきたり、人々が走っている車の前を横断して行く、ビービービーと警笛を鳴らしながら走る車、牛がのんびり歩いていたり、犬が道端に寝転がっていたり、一見無秩序に感じる。
トラック、バス、乗用車、オートリキシャ、サイクルリキシャ、TAXI、リヤカー、馬車、牛車、木製荷車、自転車、人々が土埃っぽい、スモッグに霞んだ空気、ごみの散らばる路上で混然としているように見える。
4人乗り、5人乗りのオートバイも走っている。
あちこちぶつかり凹んだ車、ぼろぼろのシートや幌の車、きれいな外車も走っている。
インドでは毎年、1時間に平均17人が交通事故で死亡している。
デリー駅付近の交通状況(動画)
オートリキシャに乗車 デリー駅付近 14:10~
4人乗りオートバイ
5.街のごみ
日中は、ごみがたくさん落ちているが、朝方に清掃されてきれいになっていた。
バザーでは、釘1本から壊れたパソコン基盤、使い古した工具、切断した短い塩ビ管、動かない時計、古びたケーブル、なんでも売っていた。
朝の町並み オートリキシャ、サイクルリキシャ
6.お酒の販売
インド全州で幹線道路から500m以内では、酒類の販売が禁止(2017年4月1日施行)になっている。
でも売っているところを聞くと、道路を曲がった所で堂々と酒類を売っている店がある。
幹線道路から己字上の道を作り500m以上離れたところに酒店の入り口を設けているそうだ。取り締まり側も大目に見ているのだろうか?
キングフィッシャー(インドビール)、ハイネケン、カールスバーグ、バドワイザーなど販売されていた。
買ったあとは、公に見せないため新聞紙などに包んで持ち歩く。
道路に面した食堂では、さすがに飲みにくい状況である。
キングフィッシャー・ビールを買ったが食堂ではなく、ホテルの部屋で飲んだ。
7.歩行数
2月10日(日)第1日目
秋川駅⇒(電車・拝島・高田馬場・日暮里経由)⇒成田空港第2ターミナル駅⇒Narita空港⇒(インド航空AI-307)⇒Delhi空港⇒(Metro)⇒Delhi駅北口⇒(オートリキシャ)⇒Delhi駅南口⇒(徒歩)⇒Hotel Bloomrooms
Google Mapタイムライン 2月10日
2月10日朝、先日の雪が残っている。梅が咲き始めていた。
9日の雪で成田空港で飛行機の欠航があった。
10日は2時間出発が遅れると前日掲示されていたが、1時間半の遅れで出発できた。
10日は2時間出発が遅れると前日掲示されていたが、1時間半の遅れで出発できた。
翌日の11日も雪で飛行機の欠航があったので10日出発は運が良かった。
成田空港、インド航空 AI-307
NRT 11:30(13:00) ⇒ 18:00(19:30) DEL
機内で偶然に、昨年5月ウズベキスタン・テルメズ仏教遺跡ツアーの
添乗員・斎藤さんに会った。
彼は北インドツアーの添乗員として乗っていた。
添乗員・斎藤さんに会った。
彼は北インドツアーの添乗員として乗っていた。
デリー・エアーポートメトロ デリー空港「I.G.I. Airport」駅
I.G.I. Airport駅からNew Delhi駅までは約20分、60ルピー(約100円)
New Delhi駅(Metro)からホテルまでのいきさつは、
◎今回のインド旅行について1.オートリキシャを参照。
到着早々、オートリキシャの仲間たちに嘘をつかれホテルまで
約20㎏のスーツケースを夜の雑踏の中、
ゴロゴロと引きずって歩いた。
◎今回のインド旅行について1.オートリキシャを参照。
到着早々、オートリキシャの仲間たちに嘘をつかれホテルまで
約20㎏のスーツケースを夜の雑踏の中、
ゴロゴロと引きずって歩いた。
デリー市内散策(オートリキシャ・徒歩)⇒Hotel Bloomrooms⇒(オートリキシャ)⇒Shivaji Stadium駅(Metro)⇒Delhi空港⇒(インド航空AI-437)⇒Bhopal空港⇒(TAXI)⇒Hotel Arankar Paleca
Google Mapタイムライン Delhi市街 2月11日
Hotel Bloomroomsの中庭
Hotel Bloomroomsの朝食
Hotel Bloomroomsの部屋からデリー駅方向、スモッグで太陽が霞んでいる。
Hotel Bloomroomsの部屋からの景色
デリー駅近くの跨線道路橋からデリー駅の跨線歩道橋を見る。
ニューデリー駅南口
偶然に、長年インドに来ている日本人・Oさんに紹介されてマドラスコーヒーレストランに入って、インド料理の昼食を共にした。
デリーのインド門
第一次世界大戦で戦死したインド兵を追悼するための慰霊碑。
パリの凱旋門と似ている。
ニューデリー駅北口
インド第18代首相 ナレンドラ・モディ(1950年9月17日生まれ)インド人民党
Google Mapタイムライン Delhi ⇒ Bhopal 2月11日
ボパール化学工場事故
1984年12月2日~3日、世界最悪の産業災害・化学工場ガス漏れ事故が発生した。
ユニオンカーバイド社から漏れ出たイソシアン酸メチルで3,787人が死亡し558,125人が負傷した。工場近辺の汚染が酷く現在でも改善されていない。
Hotel Arankar Paleca⇒(1日レンタルTAXI)⇒サーンチー(Sanchi)遺跡⇒(1日レンタルTAXI)⇒Hotel Arankar Paleca
Google Mapタイムライン Bhopal ⇔ Sanchi 2月12日
Hotel Arankar Paleca
1日レンタルTAXI 運転手 Rs2700
サーンチー仏教建造物群入口 Rs250
マディヤ・プラデーシュ州にある『サーンチーの仏教建造物群』
マディヤ・プラデーシュ州にある『サーンチーの仏教建造物群』
1989年に世界遺産に登録
第一ストゥーパ(卒塔婆) 塔門(トラナ)
最古の仏教遺跡
紀元前3世紀にアショーカ王(在位前273~前232年頃)が
仏舎利を安置するため建立した。
このストゥーパは、紀元前後に増大した。
直径は約36.6mで、高さは約16.5mである。
ストゥーパの原型になった。
釈迦の遺骨は、入滅後8つの部族に分配された。
その後、アショーカ王の時代に分配された遺骨を7部族から集め、
8万4千に再分配し各地にストゥーパを建てた。
塔門(トラナ)高さ約10m
2本の四角い石柱に3本の横梁があり、仏伝図や本生図が彫刻されている。
ほぼ完全な形に残ったのは、仏教が衰退した後、放棄され、樹木に覆われ
丘の上にあったこともあり人々に忘れ去られ破壊から免れた。
1818年にイギリスのテイラー将軍により発見された。
正面の塔門の彫刻
インドの女神ヤクシー
正面の塔門の彫刻
インドの女神ヤクシー
インドの女神ヤクシー
塔門の彫刻
インドの男神ヤクシャ
インドの男神ヤクシャ
東塔門
右側:樹下ヤクシー像
右側:樹下ヤクシー像
ボードガヤー精舎参拝の彫刻
仏陀入滅から紀元1世紀頃までの原始仏教の崇拝対象は、仏像ではなく仏舎利や仏塔であった。釈迦は「法輪」や「菩提樹」のような象徴的事物に置き換えられていた。
仏陀入滅から紀元1世紀頃までの原始仏教の崇拝対象は、仏像ではなく仏舎利や仏塔であった。釈迦は「法輪」や「菩提樹」のような象徴的事物に置き換えられていた。
この横梁の彫刻には、釈迦が菩提樹として象徴されている。
丘の上にあるサーンチー遺跡
石柵の構造は、飛行機の翼なような石板を、溝を切った柱に組み込んでいる。
インドの女子生徒たちが社会見学に来ていた。
第一ストゥーパ 南側より
獅子が支える塔門
アショーカ王の石柱
この柱には「仏教の分派を作ろうとする者は破門」という文字が刻まれてる。
最古の寺院遺跡
サーンチーは、紀元12世紀まで仏教の中心地として栄えていた。
この仏教寺院構造は、後世の寺院のモデルになっている。
多くの仏塔の基礎部分。
アショーカ王はサンチーに8つのストゥーパを建てた。
現在、3つ残っている。
左:沐浴池跡 中央:宿坊跡
供物を入れたであろう石鉢
第一ストゥーパから第2ストゥーパに行く途中で、長い長い列車の通過を見た。
第2ストゥーパ
第一ストゥーパから西に320m降りたところにある。
紀元前2世紀末~紀元前1世紀始めに建立。
韓国の僧侶と信者たちが第2ストゥーパで祈っていた。
インドの子供たち
カメラを向けると喜んで並んでくれた。
遺跡を走り回っていたリス
寺院跡、まだ修復中
紀元後の仏殿
イスラム教徒に破壊された首のない仏像があった。
第3ストゥーパ
仏陀の10大弟子の「舎利弗」「摩訶目犍連」の二人の遺骨が納められている。
ストゥーパ
現在の仏教寺院
午後になり訪問客が増えてきた。
Google Mapタイムライン Bhopal 市街 2月12日
結婚式の行列に出会った。
昼食をしたドライブイン
言葉が通じないので看板の写真を見て注文した。
TAXIのドライバーと一緒に食事をした。
野菜が多く美味しかった。
「タージ - マサジド」Taji-ul-Masajid
イスラム教寺院、ムガル建築、収容人数:175,000人
建設は1857年から始まり1985年完成。
「マサジド」は「モスク」を意味し、
「タージ - マサジド」は文字通り「モスクの中の王冠」を意味する。
インド最大のモスクであり、アジア最大のモスクの1つである。
Taji-ul-Masajid
夕方の太陽を背にした寺院が印象的だった。
モスク内は寄宿舎になっている。
広い中庭がある。
入り口(東)ゲートは、1250年頃のシリアのモスクの古代モチーフを使用した。
学生たちが池で洗濯をしていた。
高圧洗浄機で汚れを落としていた。
Gauha Mahal
ガハール・マハル
ガハール・マハルは「Gauhar」と呼ばれるボパールの最初の女性統治者、
Qudsia Begum(1819年 - 1837年統治)によって建てられた。
彼女のための仕事場と住宅だった宮殿は、インド - イスラム建築で知られている。
彼女のための仕事場と住宅だった宮殿は、インド - イスラム建築で知られている。
現在、ガハール・マハルは博物館になり、一年を通して手工芸品や手織りの展示会兼販売が行われている。
ガハール・マハル 中庭
ガハール・マハルの隣家
アッパー湖 面積: 31 km²
ガハール・マハルからの眺め
Birla Mandir
ヒンドゥー教寺院
ヴェーダの有名な聖人と文学の肖像画が寺院の壁に彫られてる。
ココナッツの実を食べ、殻はここに収める。
我々もココナッツの実とケーキをもらい食べた。
Birla Mandir
巻貝は女性の象徴
ヒンズー教では、巻貝は忠実な心をかきたて、愛で心は満たされると信じれている。
ローワー湖を望む
Hotel Arankar Paleca
「7ELEVEN」の左前の食堂で夕食をした。
食堂に地元の警察官が夕食を取りに来ていた。
「焼きそば」を注文したが、とても辛く顔中汗びっしょりになって食べた。
ここで外の店で買ってきたビールを飲もうとしたが、
警察官の前では飲めずホテルに持ち帰った。
◎今回のインド旅行について6.お酒の販売を参照。
Hotel Arankar Paleca⇒(1日レンタルTAXI)⇒ビンベトカ(Bhimbetka)洞窟壁画⇒(1日レンタルTAXI)⇒ボージュプル(Bhojpur)寺院⇒(1日レンタルTAXI)⇒Hotel Arankar Paleca⇒(1日レンタルTAXI)⇒Bhopal空港⇒(インド航空AI-632)⇒Mumbai空港⇒(プリペイドTAXI)⇒Residency Hotel Fort
Google Mapタイムライン Bhopal ⇔ Bhimbetka 2月13日
Hotel Arankar Paleca 朝食
玉ネギのみじん切りサラダ、ジャガイモカレー、ナン
踏切で列車通過待ち(帰りの時の写真)
Bhimbetkaへ向かう細い道のところに踏切があり数分間待った。
帰りの時も踏切が下りていた。
入場料を途中で支払い小高い丘の上にある洞窟群に向かう小道。
洞窟群近くの風景
2003年世界遺産に登録
インド中部に残る旧石器時代の岩陰遺跡
インド亜大陸における人類の最初期の痕跡から
インドの石器時代初期までの様子を伝えている。
(ホモ・エレクトスが10万年以上暮らしていたらしい)
岩陰遺跡の周囲には21か村が存在し、その伝統的狩猟生活などが
岩絵に描かれた痕跡が残っている。
風化から取り残された岩が多くある。
その岩の洞窟(ロックシェルター群、243窟)に岩画が残されていた。
ここの岩絵は、約1万年前から5000年前に描かれたものらしいが、
3万年前に描かれた絵もあるらしい。
岩には自然にできた洞窟が多くあった。
生活の場であるとともに集会にも使われていた。
象に乗って狩りをしている
岩陰に描かれている
たくさんの絵が描かれている
洞窟群のある小高い丘から周辺を見る。
象
警備員が巡回していた。
絵の顔料は、マンガン、赤鉄鉱、木炭を混ぜ合わせて作り出されたもの
集団で狩りをしている
集団で作業をしている岩絵
初期の踊りをしてるとの見方もある
昼頃から観光客もちらほらとみられるようになった。
いろいろな絵が描かれている
珍しく獣に追いかけられる人を描いたもの
顔料を用いて描いた絵
現代人より小型の左手形
ピンベトカ( Bhimbetka)洞窟近くにあるヒンドゥー教寺院
ヒンドゥー教寺院内部
昼食の準備をしていた。
ボージュプル(Bhojpur)寺院
ボージュプル(Bhojpur)寺院
Bhimbetka洞窟から Bhopal市街に帰る途中に立ち寄った。
11世紀、マールワール地方を統治したパラマーラ朝の君主ボージャによって建設された。
ヒンドゥー教寺院
孫とお爺ちゃん?
ボージュプル(Bhojpur)寺院は小高い丘の上にある
ヒンドゥー教の神々
シヴァ神のシンボル・リンガ 寺院の天井
Bhopal空港
Bhopal空港 21:50 ⇒ (インド航空AI-632) ⇒ 23:23 Mumbai空港
Bhopal空港で夕食
Residency Hotel Fort⇒ムンバイ市街散策⇒インド門⇒(遊覧船)⇒エレファンタ島・石窟寺院群⇒(遊覧船)⇒インド門⇒ムンバイ市街散策⇒Residency Hotel Fort
Google Mapタイムライン エレファンタ石窟見学・ムンバイ市街散策 2月14日
Google Mapタイムライン エレファンタ石窟見学・インド門周辺 2月14日
Residency Hotel Fort
街中に牛が飼われている
牛に餌をあげると供養の一つになり、通行人が餌を飼って与えていた。
ムンバイ市街
かつてボンベイという名称であったが、1996年にムンバイへ変更された。
紀元前2世紀より発展してきた都市で歴史が古い街。
紀元前2世紀より発展してきた都市で歴史が古い街。
ムンバイ市街
インド門近く
インド門
高さ26メートルの玄武岩ができている。
植民地時代のインド皇帝であった英国王ジョージ5世夫妻の来印を記念して
1911年に建立。
タージ・マハール・ホテル
ターター・グループの創始者によって建てられた。
ゴシック様式とインドのサセラン様式が融合した外観。
インド門とタージ・マハール・ホテル (船上から撮影)
インド門からエレファンタ島行きのフェリーが出ている。約1時間。
カモメとインドの航空母艦
観光客がカモメの餌を買って与えるのでカモメがたくさん集まってくる
カモメの群れ
エレファンタ島
ムンバイの東、約10㎞のところにある島、周囲約7km。
エレファンタという名は、1534年ホルトガル人が、
この島に残された大きな象の彫刻を見つけたので名付けた。
ムンバイの東、約10㎞のところにある島、周囲約7km。
エレファンタという名は、1534年ホルトガル人が、
この島に残された大きな象の彫刻を見つけたので名付けた。
インド原子力発電公社のトロンベイ原子力発電所
ムンバイ市街にある。
インドは28基の原子力発電所が稼働している。
ムンバイ市街にある。
インドは28基の原子力発電所が稼働している。
エレファンタ島の船着場からエレファンタ石窟寺院参道入口までトロッコが走っている。
エレファンタ石窟寺院参道入口付近
エレファンタ石窟寺院参道
エレファンタ石窟寺院参道
約1000段の階段上の道を上って行く。
約1000段の階段上の道を上って行く。
エレファンタ石窟 入口
第1窟 北口・正面入り口
エレファンタ石窟群 ヒンドゥー教寺院
1987年世界文化遺産に登録
6世紀~8世紀頃造営
古代インドの神は自然の岩窟の奥から姿を現すという。
エレファンタ石窟群 ヒンドゥー教寺院
1987年世界文化遺産に登録
6世紀~8世紀頃造営
古代インドの神は自然の岩窟の奥から姿を現すという。
エレファンタ第1窟石窟内部
1辺約28mの正方形をした列柱ホール、高さ約6m
3面のシヴァ神像の胸像
東を向いた顔は、破壊神(バイラヴァ)の性格を表し、
西を向いた顔は、創造の美神 ( ヴァマデヴァ)の歓喜と美を表し、
中央の瞑想的な顔は、威厳のある静寂のシヴァ神を表している。
3面のシヴァ神
ポルトガル人はキリスト教の三位一体の原理を連想させるためこの像は無傷で残った。
アルダナーリーシュヴァラ像(両性具有の像)
シヴァ神が左半身女性、右半身男性の身体を持った両性具有の像
カイラーサ山でのシヴァ神と妻のパールヴァティーの婚礼の模様を描いた彫刻
護衛紳(ドゥヴァーラパーラ)に守られたリンガを祭る祠堂 西側
リンガを祭る祠堂 東側
シヴァ神の象徴・リンガ
エレファンタ洞窟群 第1窟の東口・中庭
第2窟
エレファンタ石窟群は、7つの石窟寺院がある。
エレファンタ石窟群は、7つの石窟寺院がある。
第3窟
第4窟
第5窟
引き潮の干潟に「ムツゴロウ」が飛び跳ねていた
帰路 インド門近くの海上から
インド門
インド門広場・公園
ムンバイ大学
ムンバイ大学前の露店の本屋
バーガーキングでハンバークの昼食(駅前)
ムンバイ駅
込み合った車内で2人でウクレレの練習をしていた。
カリブ海の人のようだ
インドの電車に乗ってみた。Rs5(~8円)
インドの電車
Google Mapタイムライン ムンバイ市街散策 2月14日
ハジ・アリ廟( Haji Ali Dargah)イスラム教寺院
ハジ・アリ廟 白亜の霊廟
アラビア海に浮かぶ小島、干潮時に本土から渡ることができる参道がある。
メッカ巡礼の際に亡くなった、聖人ハッジ=アリーの棺が流れ着いた場所。
大勢のイスラム教徒や観光客が行き来していた。
ハジ・アリ廟
砂嘴に築かれている
夕陽を浴びたハジ・アリ廟
22時まで通行できるが、夕方なのにまだ大勢の人が行き来していた。
マハークラシュミー寺院(Shree Mahalakshmi Temple)
ムンバイ最古のヒンドゥー寺院
マハークラシュミー寺院 参道
寺院内は撮影禁止
マハークラシュミー:蓮華の目と蓮華の色をした肌を持ち、蓮華の衣を纏っている。
幸運を司る。4本の腕を持ち、持物は水蓮。乳海攪拌の際に誕生した。
ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻。
寺院内は撮影禁止
マハークラシュミー:蓮華の目と蓮華の色をした肌を持ち、蓮華の衣を纏っている。
幸運を司る。4本の腕を持ち、持物は水蓮。乳海攪拌の際に誕生した。
ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻。
アラビア海に沈む太陽
チャトラパティ・シヴァージー駅舎
チャトラパティ・シヴァージー駅
旧名:ヴィクトリア・ターミナル(終着駅)
2004年世界文化遺産に登録
16世紀~18世紀の建設、英領時代のコロニアル建築
19世紀後半の鉄道駅
1862年から5年間、ボンベイ管区知事を務めたヘンリー・バートル・フリアの都市構想のもとで、建築家フレデリック・ウイリアム・スティーヴァンスが設計した。
修復中
照明されたチャトラパティ・シヴァージー駅
チャトラパティ・シヴァージー(1627-80)は、
ヒンドゥーの武将・国民的英雄
ヒンドゥーの武将・国民的英雄
補修中
チャトラパティ・シヴァージー駅の出札ホール
チャトラパティ・シヴァージー駅
チャトラパティ・シヴァージー駅 構内
駅構内
インドの電車
Residency Hotel Fort ⇒ ムンバイ市街散策・電車試乗 ⇒ DADAR駅⇒(列車)⇒ AURANGABAD駅 ⇒(プリペイドTAXI) ⇒ Hotel JP International
Google Mapタイムライン ムンバイ市街散策 2月15日
インドのテレビ放送
インドのテレビ放送
Residency Hotel Fort前 奥の大通りとの間が工事中
ムンバイ市街散策 Chor Bazaar
Chor Bazaar
Chor Bazaar ネギ売り
Chor Bazaar
人混み
Chor Bazaar
人混み
Chor Bazaar
なんでも売っている
Chor Bazaar
工具屋
Chor Bazaar
ボルト売り
Chor Bazaar
パソコン部品売り
Chor Bazaar
お店の人とワンショット
Chor Bazaar
人混み
Chor Bazaar
叩き肉屋
Chor Bazaar
肉屋横丁
Chor Bazaar
シープ横丁・羊の頭
Chor Bazaar
果物露店
露天商
Chor Bazaar
穀物横丁
Chor Bazaar
なんでも売っている
野菜露天商
ムンバイ市街散策
ムンバイ市街散策
Crawford Market
Crawford Market
外国人も見学に来ていた
外国人も見学に来ていた
Crawford Market
Crawford Market
Mangaldas Market
ムンバイ市街散策
ムンバイ市街
ムンバイ市街
ムンバデヴィ寺院(Shri Mumbadevi Mandir)
女神ムンバ 、 デヴィ ( 母なる女神 )の化身に捧げられた
古いヒンドゥー教寺院
1675年建設
Google Mapタイムライン 2月15日
Mumbai DADAR駅14:00⇒(列車:12071 JAN SHA TABDI EXP)⇒20:10AURANGABAD駅
Mumbai DADAR駅前
Mumbai DADAR駅前
Mumbai DADAR駅
Mumbai DADAR駅前
竜眼
甘くてとても美味しかった
水売り場
500ml Rs3(~¥5)
Mumbai DADAR駅 14:00 ⇒ 20:10 AURANGABAD駅
列車:12071 JAN SHA TABDI EXP
鉄道料金(Indian Railways:365㎞):Rs3,234(~\5,045)
列車内 エアコン付き
列車内
座席について話し合っていた
Mumbai DADAR駅
発車合図もなく出発した列車からホームを見る
列車を洗車していた
夕陽を浴びて列車は進んだ
落日のインド高原を列車は進む
Google MapとGPSで列車の位置を確認しながら乗っていた。
地図は事前にダウンロードしたオフラインマップを利用した。
AURANGABAD駅⇒(プリペイドTAXI)⇒Hotel JP International
プリペイドTAXIドライバーは、Hotel JP Internationalを知らず
Google MapとGoogle検索でホテルの場所を捜していた。
プリペイドTAXIドライバーは、Hotel JP Internationalを知らず
Google MapとGoogle検索でホテルの場所を捜していた。
Hotel JP International 屋上レストランにて
Hotel JP International 屋上レストランから周辺を見る
Hotel JP International 屋上レストランにて
夕食
Hotel JP International
Hotel JP International⇒(1日レンタルTAXI)⇒アジャンタ(Ajanta)石窟寺院群⇒(1日レンタルTAXI)⇒Hotel JP International⇒ホテル周辺散策⇒Hotel JP
International
アウランガバードは、ムガル朝の第6代皇帝アウランガゼーブ帝が作った街
Hotel JP International
1日レンタルTAXIでアジャンタ石窟寺院遺跡に行った。
AJANTA ドライブイン
AJANTA ドライブイン
周辺は畑ばかり
アジャンタ(Ajanta)石窟寺院群のあるワゴーラー渓谷
周辺には何もないように見える
周辺には何もないように見える
アジャンタ(Ajanta)石窟寺院群入口
アジャンタ(Ajanta)石窟寺院群
世界文化遺産 1983年登録
29窟あり、2種類の仏教窟がある。
ヴィハーラ窟:平地にある僧院を石窟に置き換えた。
チャイティヤ窟:仏陀を象徴する仏塔などが据えられた石窟。
開窟は紀元前1世紀~紀元後2世紀、および5世紀後半~6世紀半ば頃まで。
7世紀以降廃墟になりジャングルに埋もれた。
世界文化遺産 1983年登録
29窟あり、2種類の仏教窟がある。
ヴィハーラ窟:平地にある僧院を石窟に置き換えた。
チャイティヤ窟:仏陀を象徴する仏塔などが据えられた石窟。
開窟は紀元前1世紀~紀元後2世紀、および5世紀後半~6世紀半ば頃まで。
7世紀以降廃墟になりジャングルに埋もれた。
アジャンタ(Ajanta)石窟寺院群
1819年4月、インド人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていた時、
巨大な虎に襲われワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、発見した。
1819年4月、インド人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていた時、
巨大な虎に襲われワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、発見した。
第1窟
第1窟 蓮華を持つ菩薩像壁画
法隆寺金堂に描かれている菩薩像の原型
法隆寺金堂に描かれている菩薩像の原型
第1窟 壁画
彫刻を施した石柱
仏陀を祭る本堂
仏陀を祭る本堂
壁画
ジータカ(本生譚)などの説話図が描かれている。
壁画
壁画と柱頭部の彫刻
ジータカ(本生譚)などの説話図が描かれている。
第2窟 壁画
柱頭部の彫刻
浮彫り(レリーフ)
天井画
仏像
アジャンタ石窟寺院
手前の橋を渡ると展望台に行く
未完の石窟
第9窟 チャイティヤ窟の外部
仏塔が礼拝されていた。
第10窟 チャイティヤ窟
第10窟 仏塔
第16窟
第16窟
第16窟
第16窟 釈迦像
第19窟 仏像の浮彫り群
6世紀後半、仏教が衰退したので未完のまま残された。
第19窟 チャイティヤ窟
仏塔と仏像を拝むことになる
第19窟
柱の上部等 仏像が多く彫刻されている
柱の上部等 仏像が多く彫刻されている
第26窟
第26窟
第26窟 仏陀涅槃像
第26窟 仏陀涅槃像
天井壁画
壁画
天井壁画
アジャンタ石窟寺院群展望台
展望台
展望台模型を撮影
展望台からアジャンタ石窟寺院を見る
展望台からアジャンタ石窟寺院群を見る
ワゴーラー渓谷 滝壺付近
滝壺
乾季なので川の水が流れていなかった。
多くのサルがワゴーラー渓谷にいた。
レストラン前の橋でモデルらしき人が撮影していた。
アジャンタ石窟寺院、唯一のレストランで昼食
メニューは英語であった。
ホテル周辺散策
Hotel JP International 周辺
サトウキビ搾り機
ホテル周辺散策
ホテル周辺散策
夕食
カレー&ライス 玉ねぎサラダ コーヒー
カレー&ライス 玉ねぎサラダ コーヒー
夕食 カレー
シシカバブーもどき
Hotel JP International⇒(1日レンタルTAXI)⇒エローラ(Ellora)石窟寺院群⇒(1日レンタルTAXI)⇒ダウラターバード(Daulatabad)城壁・チャンドミナール⇒(1日レンタルTAXI)⇒Hotel JP International⇒(1日レンタルTAXI)⇒AURANGABAD空港⇒(インド航空AI-442)⇒Delhi空港⇒(プリペイドTAXI)⇒Prem Sagar Guest House
Hotel JP Internationalのメニュー
ダウラターバード(Daulatabad)城壁
エローラ(Ellora)石窟寺院群に車で行く途中にある
ダウラターバード(Daulatabad)城壁
エローラ(Ellora)石窟寺院群
エローラ(Ellora)石窟寺院群 入口
34の石窟が、シャラナドリ台地の垂直な崖に掘られている。
5世紀~10世紀の間に造られた。
仏教(12窟)、ヒンドゥー教(17窟)、ジャイナ教(5窟)の石窟寺院がある。
ヒンドゥー教石窟寺院
7世紀ごろから作られた。
第16窟 カイラサナータ寺院(ヒンドゥー教石窟寺院)
第16窟
カイラーサナータ寺院(ヒンドゥー教石窟寺院)
カイラス山(須弥山・シヴァ神が住む山)をイメージして掘られた。
この石窟寺院は、上から下に掘られた。高さ32m。
掘り出した岩石(玄武岩)は20万トンと言われている。100年の歳月を要した。
工法的には石を運んで来て組み立てるよりは効率が良いという。
石窟寺院と言うより高層建築の彫刻。
岩山の山腹に内部も外部も完全に石の彫刻で仕上げられた大寺院は他にない。
第16窟
カイラサナータ寺院(ヒンドゥー教石窟寺院)入口
中庭
ヒンドゥー教の神々
多くの彫刻が施されている。
中央寺院は空中回廊により結ばれている。
独立記念柱(スタンバ)
回廊は巨大な彫刻の壁で区切られていた。
中央寺院
インドの少年たち
多くの神々の彫刻
8本の手を持つ神
多くの神々の彫刻
ミトゥナ像 岩を掘り出して作られている。
叙事詩「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」に基づいた彫刻
記念柱(スタンバ)
シヴァ神の象徴・リンガとヨニ
シヴァ神
10本の手を使って四方八方へ武器を投げつける神
カイラス山をイメージして造られた 本堂
崖の上からの展望
拝堂(マンダパ)の屋上には丸彫りで4頭のライオンが彫刻されている。
崖の上からの展望
崖の上からの展望
崖の上からの展望
「聖室」、「拝堂」、「本堂」
崖の上からの展望
多くの鳥が群がって飛んでいた。
仏教洞窟寺院
第1窟~第12窟
仏教石窟
初期の仏教は己の救済を追求する内向的な思想であったため、
瞑想室のような閉空間を必要とした。
5世紀~7世紀に造られた。
第11窟
ドー・タル窟と呼ばれている。
3階建ての僧房
3階建ての僧房
仏坐像
第10窟 チャイティヤ窟、三廊式の堂
菩薩と聖者を従えた仏陀が説法する像(三尊形式)とストゥーパ
ヴィシュヴァカルマ窟(大工の石窟)と言われている。
時代とともに宗教は、大衆を救済する大乗的なものに変化し、石窟寺院も開放的なものになって行く。ついには、石窟そのものが必要なくなり石窟寺院は放棄された。
ジャイナ教洞窟寺院
ジャイナ教寺院 第30窟~第34窟 9世紀に造営
第30窟は、チョーター・カイラーサナータ(小さいカイラーサナータ)と言われている。
第30窟は完成を待たずして放棄された。

第32窟
インドラ・サバー(インドラ神の神殿)と呼ばれている

第32窟
チャトルムカ祠堂
高さ10mの記念塔や2階建ての石窟に囲まれている。

象の彫刻
ジャイナ教の神は、全身裸であった。
美しい女神
多くの人が豊かな胸を触ったので黒光りしていた。
ジャイナ教寺院 第30窟~第34窟 9世紀に造営
第30窟は、チョーター・カイラーサナータ(小さいカイラーサナータ)と言われている。
第30窟は完成を待たずして放棄された。
第32窟、第33窟、第34窟は内部で互いにつながっている。
インドラ・サバー(インドラ神の神殿)と呼ばれている
チャトルムカ祠堂
高さ10mの記念塔や2階建ての石窟に囲まれている。
象の彫刻
ジャイナ教の神は、全身裸であった。
美しい女神
多くの人が豊かな胸を触ったので黒光りしていた。
エローラ石窟寺院訪問後昼食
TAXI運転手と一緒に昼食
定食(カレー、ナン、菓子、ヨーグルト等)
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ダウラターバード要塞(Daulatabad Fort)
チャンドミナール
Daulatabad Fort 入口
Daulatabad Fort
高さ200メートルの円錐状の丘の上に築かれたダウラターバード要塞は、
中世インドで最強の要塞の一つであった。
1327年、トゥグルク王朝の首都をデリーからダウラターバード(繁栄の町)に移した。
1633年、ムガル帝国軍との4か月の攻防の末、陥落した。
1742年、ムガル帝国軍が敗れた後はニザーム王国が支配した。
ダウラターバード城壁
赤い花の木
チャンドミナール
チャンドミナール
1447年に建てられた4つの階よりなる光塔(光り輝く塔だった)、高さ30m
貯水池
外部の山岳地帯にある巨大な貯水池から水力学を応用して水を引けるようになっていた。
貯水池周辺を見学する親子
ビビカマクバラ(BIBI-KA-MAQBARA)
BIBI-KA-MAQBARA
アウランガーバードにあるムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃、
ディルラース・バーヌー・ベーグムの廟墓である。
17世紀後半に息子のアーザム・シャーにより1669年建設に構築された。
タージマハールとよく似ているのは、
タージマハールと匹敵するように意図したが予算の制約により小型化した。
Taj Mahal of Agra (1654年建設)に対して
the Dakkhani Taj (Taj of the Deccan)と呼ばれている。
ビビカマクバラ回廊
墓には多くのさい銭が投げ入れられていた。
廟から楼門と庭園を望む
アウランガーバードにあるムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃、
ディルラース・バーヌー・ベーグムの廟墓である。
17世紀後半に息子のアーザム・シャーにより1669年建設に構築された。
タージマハールとよく似ているのは、
タージマハールと匹敵するように意図したが予算の制約により小型化した。
Taj Mahal of Agra (1654年建設)に対して
the Dakkhani Taj (Taj of the Deccan)と呼ばれている。
ビビカマクバラ回廊
墓には多くのさい銭が投げ入れられていた。
尖塔
インド人家族
女の子に声をかけられて写真を撮った。
BIBI-KA-MAQBARAの楼門
AURANGABAD空港 ⇒ (インド航空AI-442) ⇒ Delhi空港
インド航空AI-442
AURANGABAD市街
飛行機から月を撮影
インドの月は、ワニに見えるとか?
インドガビアル(絶滅危惧種)という細長いくちばしを持ったワニ、
魚などを食べて人を襲わない。
魚などを食べて人を襲わない。
デリー地下鉄(Delhi Metro)
インドの地下鉄には、ハンディキャップのある人と女性専用座席もある。
インドの地下鉄には、ハンディキャップのある人と女性専用座席もある。
2月18日(月)第9日目
Prem Sagar Guest House⇒デリー市街散策(フマユーン廟、オールドデリー等)⇒Prem Sagar Guest House
Google Mapタイムライン 2月18日
Prem Sagar Guest House周辺
Prem Sagar Guest Houseにて朝食
Prem Sagar Guest House屋上からの展望
オールドデリー散策
オールドデリー散策
「赤い城」付近
多民族国家と言われているインドには、
様々な言語・宗教・文化が息づいている。
様々な言語・宗教・文化が息づいている。
デリー市内には、電車、地下鉄、バス、TAXI、オートリキシャ、
サイクルリキシャ(人力車)という移動手段がある。
サイクルリキシャ(人力車)という移動手段がある。
「赤い城」
レッドフォート(ラール・キラー)・デリーの城
赤い砂岩でできている。
タージマハルを作ったムガル帝国第5代皇帝がアグラから
この地へ遷都し、自らの居城とした。
レッドフォート(ラール・キラー)・デリーの城
赤い砂岩でできている。
タージマハルを作ったムガル帝国第5代皇帝がアグラから
この地へ遷都し、自らの居城とした。
月曜日のため休館日であったため柵の外から撮影した。
「赤い城」
1639年から9年という年月をかけて建設
1639年から9年という年月をかけて建設
2007年、「赤い城の建造物群」で世界文化遺産に登録されている。1857年のインド大反乱が起きた時の拠点。
(イギリスの植民地時代に、インド兵に新型のライフル銃が渡された。しかし、この銃の薬包に、ヒンドゥー教徒が神聖視している牛の脂と、イスラム教徒が不浄としている豚の脂が使われていた。兵士が銃の受け取りを拒否し、これをイギリス政府は厳しく処分したため兵士の反感をかい反乱が起こった。)
反乱後、イギリス軍によって駐屯地として没収され城内が大きく作り替えらた。
インド独立後の今でも軍の施設として使われている。
ディガンバラ・ジャイン・ラール寺院
ジャイナ教寺院
ジャイナ教は、紀元前5世紀から紀元前6世紀ごろにマハーヴィーラが開いた
インドの宗教で、禁欲や苦行といった厳しい戒律がある。
ジャイナ教寺院
ジャイナ教は、紀元前5世紀から紀元前6世紀ごろにマハーヴィーラが開いた
インドの宗教で、禁欲や苦行といった厳しい戒律がある。
「赤い城」周辺
「赤い城」周辺
庶民が日常的に利用するマーケット、チャンドニー・チョークには、
衣類・雑貨・食料品・家電・宝石など、ありとあらゆるものを売る店が立ち並んでいる。
庶民が日常的に利用するマーケット、チャンドニー・チョークには、
衣類・雑貨・食料品・家電・宝石など、ありとあらゆるものを売る店が立ち並んでいる。
「赤い城」周辺
Red Fort から東にOld Delhi Chandni Chowkへ向かう
Red Fort から東にOld Delhi Chandni Chowkへ向かう
チャンドニー・チョーク(Chandni Chowk)繁華街
電線が蜘蛛の巣状態
電線が蜘蛛の巣状態
道路にいろいろな物が置いてある
これぞインド庶民の街、歴史ある庶民の通り。
浅草商店街、上野アメ横商店街に相当すると言われるが、
そこより混沌としている。
これぞインド庶民の街、歴史ある庶民の通り。
浅草商店街、上野アメ横商店街に相当すると言われるが、
そこより混沌としている。
外国人観光客がリキシャに乗って見学
朝早いのでまだ、店が開いていない。
チャンドニー・チョーク
路地の内側には歴史的な建物がある。
路地の内側には歴史的な建物がある。
チャンドニー・チョークの路地裏
あちこちにワンちゃんが寝そべっている。
世界文化遺産の建物の説明板の前で地元の人と話す。
ラクシュミーナーラーヤン寺院 (別名ビルラー寺院)
ヴィシュヌ神の化身ナーラーヤンと、
その妃、美と幸運と繁栄の神であるラクシュミーと
多くのヒンドゥー教の神々が祭られてる。
インド有数の大財閥であるビルラー財団によって管理運営されている。
寺院は、白大理石や赤砂岩を使用したオリッサ様式。
寺院内は、カメラや携帯電話の持ち込みが禁止。
寺院内は、カメラや携帯電話の持ち込みが禁止。
ラクシュミーナーラーヤン寺院前
インド衣装を着た婦人たち
ラクシュミーナーラーヤン寺院隣にある仏教寺院
フマユーン廟へ
デリー市街
オートリキシャに乗った、渋滞していた。
オートリキシャに乗った、渋滞していた。
デリー市街
Isa Khan's Tomb
フマユーン廟の敷地内にある少し小さめの廟
フマユーン廟の敷地内にある少し小さめの廟
イサカーン廟
古代遺跡の雰囲気で趣がある。
古代遺跡の雰囲気で趣がある。
イサカーン廟
イサ・カーンはシェール・シャー王朝時代の貴族。
イサカーン廟
イサカーン廟の西側にメッカの方角へ向かってモスクが建てられている。
イサカーン廟内の棺群
イサカーン廟
イサカーン廟
Bu-Halima' Gate
Bu-Halima' Gate
フマーユーン廟
ムガール王朝の皇帝や貴族の墓
フマーユーン廟
ムガル帝国第2皇帝フマーユーンの墓廟
1565年にペルシア出身の王妃によって建設された。
インドで最初に建てられたペルシア系イスラム建築様式の墓廟。
タージマハールの原型になっている。
1565年にペルシア出身の王妃によって建設された。
インドで最初に建てられたペルシア系イスラム建築様式の墓廟。
タージマハールの原型になっている。
フマーユーンの石棺
実際のフマーユーンの遺体が納められた棺は真下に安置されている。
フマーユーン廟
フマーユーン廟
フマーユーン廟
フマーユーン廟
フマーユーン廟
フマーユーン廟
警備員、銃を持っている。
警備員、銃を持っている。
フマーユーン廟
フマーユーン廟案内板
デリー市街
Rajiv Chowk駅
Rajiv Chowk駅
Zaffranレストラン
パレスホテルに併設、HISの方に紹介されたレストラン
パレスホテルに併設、HISの方に紹介されたレストラン
Zaffranレストラン
料理 Gobi Dumdar カリフラワーとハーブを壺で蒸したもの(425Rs)
辛くないタンドリーチキン
カレーライス等
料理 Gobi Dumdar カリフラワーとハーブを壺で蒸したもの(425Rs)
辛くないタンドリーチキン
カレーライス等
Zaffranレストラン
食後のコーヒー
2月19日(火)第10日目食後のコーヒー
Prem Sagar Guest House⇒デリー市街散策(官庁街、国立博物館等)⇒Prem Sagar Guest House⇒(半日レンタルTAXI)⇒クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)⇒Delhi空港⇒(インド航空AI-306)⇒Narita空港
Google Mapタイムライン 2月19日
デリー市街散策(官庁街、国立博物館等)
Prem Sagar Guest Houseの宿帳
Prem Sagar Guest Houseフロントにて
Prem Sagar Guest Houseフロントにおいてあるガネーシャ像
ガネーシャ:現世利益をもたらす神
「富の神様」として商人たちから絶大な信仰を集めている。
Prem Sagar Guest Houseフロントにて
大統領官邸周辺 官庁街
イギリスとムガール、2つの造園様式が取り入れられた。
花壇、噴水、バラ園などが美しく整備されている。
大統領官邸
建物の最上部にある大きなドームがある。部屋数340室
議事堂
ニュース番組を伝えるレポータたちが待機していた。
各放送局の中継車が並んでいた。
大統領官邸周辺の公園
公園の中に細長い池があった。
国立博物館

サラスワティ(Saraswati) 12世紀頃
ヒンドゥー教の女神(弁財天)
知恵・芸術・音楽を司る。
青銅製のナタラジャ(Nataraja) 700AD-1100AD
シヴァ神がチャトゥラタンダバのポーズで、
右足で無知の悪魔・アマスマラを踏みつけて踊っている。
イギリスとムガール、2つの造園様式が取り入れられた。
花壇、噴水、バラ園などが美しく整備されている。
大統領官邸
建物の最上部にある大きなドームがある。部屋数340室
議事堂
ニュース番組を伝えるレポータたちが待機していた。
各放送局の中継車が並んでいた。
大統領官邸周辺の公園
公園の中に細長い池があった。
国立博物館
国立博物館入口
国立博物館
20万点を超える膨大なコレクションを収蔵する3階建の国立博物館
1960年に一般開放
ガンダーラ時代の仏像
アシタの訪問を描いた手すりの柱 (西暦100年 - 西暦200年)
Railing Pillar Depicting Asita’s Visit
仏教の初期の頃は、仏像はアニコニズム (Aniconic) を通して崇拝されていた。
特定のものは崇拝され、人間の姿では示されなかった。
足跡、菩提樹、ダンマ・チャクラ、空の王座、仏塔、輝きの柱などであった。
この大理石の板では、仏・赤ん坊シッダールタはアシタによって
保持されている布の上の一対の足跡によって象徴的に描かれている。
釈迦がシャキア一族の王子シッダールタとして生まれたとき、
アシタは彼の宮殿で王サドダナ王を訪問した。
赤ちゃんの体の縁起の良い兆候を見て、
Asitaは彼が偉大な王になるか偉大な僧侶になるだろうと予言した。
そのうち後者は本当になった。
Dancing girl (BC2700-BC2100)
大きな目、平らな鼻、束になった巻き毛は芸術的な特徴がある。
ハラッパ人は冶金に精通しており、
ロストワックス法を使って金属の合金を鋳造する方法を知っていたことがわかる。
ヒンドゥー教の女神(弁財天)
知恵・芸術・音楽を司る。
仏舎利器
金色の塔はタイから贈られた。
仏舎利の前で多くの信者が瞑想していた
シヴァ神がチャトゥラタンダバのポーズで、
右足で無知の悪魔・アマスマラを踏みつけて踊っている。
Nataraja
シヴァの創造、保存、破壊、ベール、そして恵みの5つの本質的な行為を表している。
彼が踊るダンスはアナンダタンダバまたは至福のダンスと呼ばれている。
ナタラジャのイメージは宇宙を意味する。
仏像や彫刻等の写真が365枚見られます。
昼食後、映画を見ようと出かけて行った。
この店で両替をした。
映画館 入場料 Rs350
時間帯が合わず見られなかった。
インドの映画産業は「Bollywood(ボリウッド)」という愛称。
「インド人は上映中に歌ったり踊ったりしながら観るらしい」というが、
インド映画はハーピーエンドが多いので踊ることもある。
「ムトウ 踊るマハラジャ」では踊ったが、他ではあまり踊らないという。
他の映画館に行ったが、時間が合わなかった。
街には犬がたくさん歩いている。
包丁研ぎを2度見かけた。
画像をクリックすると動画(Youtube)が見られる。
時間帯が合わず見られなかった。
インドの映画産業は「Bollywood(ボリウッド)」という愛称。
「インド人は上映中に歌ったり踊ったりしながら観るらしい」というが、
インド映画はハーピーエンドが多いので踊ることもある。
「ムトウ 踊るマハラジャ」では踊ったが、他ではあまり踊らないという。
他の映画館に行ったが、時間が合わなかった。
街には犬がたくさん歩いている。
Google Mapタイムライン 2月19日
クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)⇒ Delhi空港
クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)遺跡群
世界文化遺産 1993年登録
世界最高のミナレット 高さ72.5m、基底部直径14.3m、378段の階段
ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在している。
1192年~1206年、クトゥブッディーン・アイバクによって
イスラームモスクに付随して建てられた。
アイバクは、アフガニスタンのゴール朝で奴隷軍人の出身で将軍にまで出世し、
北インドの総督になる。そして、ゴール朝の王ムハンマドが暗殺されると
独立して北インドで最初のイスラム王朝を興し、デリーに王宮を建設した。
そして、インド古来のヒンズー寺院やジャイナ教寺院を破壊し、
イスラムの栄光を称えるための大モスクを建築した。
アライ・ミナール
5層の塔
塔の壁には、コーランの章句やアラベスクが刻まれている。
アライ・ミナール説明板
クワットゥル・イスラーム・モスク
インド最初のイスラーム寺院
クワットゥル・イスラーム・モスク
インド最古のイスラム建築群
クワットゥル・イスラーム・モスク
クワットゥル・イスラーム・モスク 礼拝堂入口のアーチ
破壊したヒンドゥー寺院の石材を再利用したため、
偶像崇拝を認めないイスラームにありながら、回廊の列柱に女神像が残る。
アイバクは象を使って、この地にあったヒンズー教寺院やジャイナ教寺院を27も破壊し、その建材を使って、大モスクを建てた。
アショカ王の鉄柱
鉄柱は直径44㎝、高さ約6.9m。地中に2mほど埋もれていて、推定重量は6トン。
鉄の純度:97.2%、「錆びない鉄柱」として有名。
この鉄柱は紀元後4世紀ころのグプタ朝のチャンドラグプタ2世を記念したもの。
偉大なるチャンドラを記念する柱と書かれている。
イレトゥミシュ廟
イレトゥミシュはアイバクの後を継いだ人物
デリー空港の近くなので飛行機が多く通過する。
財政難で建設が途中で中止された塔
現在の基底部直径25mクトゥブ・ミナールを超える高さ100m以上の塔になる予定であった。
14世紀のスルタンが計画した。
アライ・ミナール
クトゥブ・ミナール遺跡群Delhi口のところに小型のピラミッドがあった。
DEL 21:15 ⇒ 8:00 NRT
デリー空港
チェックインゲートの混雑で、飛行機出発の15分前に搭乗口に着いた。
デリー空港
DEL 21:15 ⇒ 8:00 NRT (インド航空AI-306)
デリー空港の飛行機搭乗までのいきさつは、
◎今回のインド旅行について3.デリー空港・チェックインを参照。
デリー空港
チェックインゲートの混雑で、飛行機出発の15分前に搭乗口に着いた。
デリー空港
DEL 21:15 ⇒ 8:00 NRT (インド航空AI-306)
デリー空港の飛行機搭乗までのいきさつは、
◎今回のインド旅行について3.デリー空港・チェックインを参照。
2月20日(水)第11日目
Narita空港⇒成田空港第2ターミナル駅⇒(電車・日暮里・高田馬場・拝島経由)⇒秋川駅
Google Mapタイムライン 2月20日
成田空港、インド航空 AI-306
DEL 21:15 ⇒ 8:00 NRT 予定通り到着
京成本線(特急)車内 午前9時ごろ
ほとんどが空港からの客であった。
無事帰宅:11時56分
梅の花が満開になっていた。







